OFFICIAL REPORT オフィシャル レポート

Report 02

コラム 鈴木さんと冨坂さん
〜「逃奔政走」が始まるまで〜

鈴木さんと冨坂さん

このコラムページは、本来劇場で手にできるパンフレットにのるはずだったのですが、筆者が「めっちゃ書いてしまった」ので、はみ出してしまった前半部をホームページに掲載することになりました。
続きが気になる方はぜひ劇場でパンフレットを手に入れてください!



今、劇場の椅子に座って開演前にパンフレットを読んでる皆様、こんにちは。帰りの電車の中でこのページを読んでる皆様、こんばんは。このお芝居で峰岸という役を演じる中田顕史郎と申します。

ある作品ができる経緯というのは、通常は制作者や演出家といった人たちがいわば神様のポジションから語ることが多いですよね。でもこの作品は、成り立ちに普通の作品とは少し違うユニークな部分があり、そこに立ち会ってきた僕がクロニクル風(年代記的)にお話ししようと思います。


複雑な物語は複雑に語られなければならない。

能書きはいいから、早く稽古エピソードや、奇跡の出会いを読ませてよと思ってるあなた。ゴメンナサイ。もう少しだけ。

今や世の中では、三分で伝えられないような内容や、パッと頭に入ってこない物語には意味がないと思われてます。でも、そんなことを言っていると世界はますます短文化していき、現実と離れていき(似てるけど)、生きているときに立ち上ってくる数々のリアルなややこしい毎日と格闘することができなくなる。

この「逃奔政走」を書いた冨坂さんの世界には、ややこしい瞬間をスキップせずにどんどん「ややこしさ」を溜め込んでいってなんとかしようと、積極的にあるいは消極的に右往左往する必死な人物がたくさん出てきます。皆さんはそれを眺めているとコメディにもなり、もっと没入して見るとあなた自身の話にも思えてくるような舞台です。

なのでこのコラムも、そんなおつもりでお付き合いください。

学生演劇を振り出しに<小劇場>世界を根城に舞台をつづけていた僕は、四十才になった頃こんな「想い」を持つようになっていました。「若い小劇場の才能と、パワフルなショービズの力を持っている才能が、歴史ある劇場で融合する。」

ま、これ自体は特別に珍しい「想い」ではないと思います。よくあるやつです。けれどもこういうある種のアマチュアリズムな「想い」が現実によってコテンパンにされていき、いやいやこういう酸っぱさも受け入れるのがプロフェッショナルだよとクールに構えて終わる作品たちをみてきました。これって、ホントは違う想いがあって始まったんじゃなかろうかって思うような。

「舞台」や「演劇」は、とても非効率的な作業の積み重ねです。作品をつくりあげる最終局面は突貫工事になることが多いので、それまでに、どれだけの関係を築き、無理なく「想い」を現場で共有できるのか。始まるまでが勝負です。

あのときからあっという間の十云年。地味に土を耕していたら、ようやっと花が咲く時がきたような気分です。

*おまけ。このコラムには、公式ホームページなんかでかかれている年数と違う数字がでてきたりします。でもそれはどっちかが間違ってる!とかではなくて、「おおお。こうやって、同じ物事を当事者たちですら記憶と思い込みで別々に書いちゃったりするんだなあ。」って思いながら楽しんでくださいネ。


2017年。始まりの朗読会。

お互い、獅子座・丙午(ひのえうま)の鈴木と中田が知り合って、四半世紀。きっかけは共通の友人、伊藤さんの紹介でした。<東京ラブストーリー>からまだ数年。今思えば天下の鈴木相手によくもそんなことできるなと思うのだが、伊藤さんは「私の留学先のフランス滞在費用のなにがしかの助けになるような企画を出版社に持ち込む作戦会議をしよう!ホナミさん、ケンシロさんちょっとつきあって!」という友人として何かやって!という理由で出会ったのでした。撮影所でもなければ稽古場でもない地味な会議室で。

会議では、頭の回転が早くしっかりと自分の意見があり、知ったかぶりをしないでわからないことはわからないという。あんまり余計な事言わない。たまによくわからないスイッチがはいる。基本的には根暗(大きなお世話ですが)という、今にいたるもほぼ変わらないホナミさん。どっちかっていうと伊藤さんが主人公タイプ、普段のホナミさんは主人公にならないほうの学級委員長タイプだったのです。

知り合ってからは「役者あるある」で、お互いの作品をみてあーだこーだいう関係が続いていきました。だから、僕は当時唯一のホナミさんの舞台「郵便配達夫の恋」をシアタートラムで見ています。一方、ホナミさんは芝居小屋ですらない場所のせっまいパイプ椅子で僕の舞台を見に来てた。そういうの全然平気なヒトなんですね。

どちらも子育ての季節に突入してそれが終わりにさしかかる頃、また互いの作品を見合う関係が再開。そして並行して、「ドラマ倶楽部」(要はやってるテレビドラマを見てなんだかんだ言って楽しむこと)なやりとりも復活。とにかくホナミさんの「ドラマ好き」は若かりし頃よりも輪をかけて筋金入りになっていたように思います。

そして、例の伊藤さんはこの頃ブルゴーニュのヴィニュロン(ワイン農園の当主)となっていて、旦那さんの急逝をきっかけに半生を手記にして私家版として出版しようとしていました。それを手伝っていた僕に彼女が「せっかくだから、ホナミちゃんと完成記念に<リーディングの夕べ>みたいなことしてよ」と言ったことをきっかけに、2017年の3月に渋谷のワインバーで百人に満たない関係者たちを集めてリーディングをおこなうことになるのです。

僕はそのときは演出を担当したのだが、楽屋もない小さな店の調理場の外=ただの廊下でポツンと待機していたホナミさんを思い出す。終わってヘロヘロになっていたホナミさんだけど、たった七十人ほどのお客さんの前というライブな体験はとても楽しそうであった。 ホナミさん自身は自分の声のトーンが気に入らず、当日が終わったあとのメールですら「あれもこれも反省」という風に述べていたのだけれど、これはよくある「その人がコンプレックスと思っていることにこそチャームポイントがある」というやつ。違う見方をすれば低い艶のアルトな声とはまったく違う、鈴の音のような声が観客には心地良かったんです!

さて。演出をつけてたときに「これはもうなんかやりたいんだなあ。」とピンときた僕は、「なら、なんかやりましょうよ」と言い始めました。堅苦しく言うと<興行などの目的のない形>で、<定期的ではない>スケジュールで、<先生・生徒の関係なワークショップとかではなくフラットな関係>で「何らかの演技に関する稽古」をしてみませんか。ということでしょうか。堅苦しいな。

ホナミさんは真面目な人なので、教わる形になっちゃうと、それはそれで、きっとめっちゃめちゃ優秀に終わっちゃうというか。もちろんそれでもいいんですけど。

でも実の所「王道に近道なし」は演技の道でもそうであって、ワークショップとメソッド花盛りの今であっても、結局自分で山に分け入っていくしかないもの。コツコツと、とてもパーソナルな土地を耕すものなのである。というのが僕が想うところなので。

そんなこんなで、ホナミさんがついにやってみるかっていう気分になり、最初「これ読んでみたら」と渡したホン=戯曲は「セイムタイム・ネクスト・イヤー」だったと思う。それから二人芝居を中心にいろいろと候補を渡した。海外戯曲が多かった。でもまあ、2017年はまだそんな段階で、なんの具体的な動きにもつながっていないんだけど。

そうだ、思い出した!これはカットされるかもしんないけど、一応書く。パンフに掲載するコラムに書かれているある芝居の衣装にカーキ色のホナミさんの「私物キャップ」を使ったんだけれど、いよいよ本番が差し迫ったある稽古の日、突然「この帽子さー。U2のボノにもらったんだー。」ともんのすごく、いいでしょう!?って感じで謎のマウントをとってきたのであった。ええ。それはそれはめっちゃ羨ましかったです!まったくもう。
ではそれがどんな芝居かというと・・・、続きは、パンフレットで!!!

つづく!

文:峰岸役・中田顕史郎